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「僕はどうせ」と地に触れた冷たさを知る人は、同じ温度を知る人の気持ちになることができる

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ペーパーテストが大の苦手だった。

高校入試の社会科の試験では「核家族」しか解答がわからなかったし、高校時代の通知簿は10段階評価で2をもらったこともある。これくらいの酷い成績になると数字も赤で印字されるという話はけっして都市伝説ではない。

そんな自分なので、何かを不得手にしたり苦手意識を持つ人たちの気持ちはよく分かるつもりだ。これくらいは分かるだろうと決め込むのではなく、これは理解してもらえないかもしれないという気持ちで準備を行い、説明のための表現を考える。伝わった、共感してもらえたという空気を感じられたとき、あの日あの時の挫折と悔しさは無駄ではなかったのだなぁと思う。

「僕はどうせ」と地に触れた冷たさを知る人は、同じ温度を知る人の気持ちになることができる。それは財産で、それは個性。優しさは肩を並べるところに生まれる。

毎日に無駄はなくて、こぼした涙は共感の種を育む。光ばかりで焦がしてしまってもいけないということを、今日の失敗を振り返りながら刻む。

ごめんなさいを言わない日はないから、少しずつ、見えてくる景色があるんだね。