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教養とは、人を許すためにある(石田純一さん) ~許せるから広がる、深まる

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「教養とは、人を許すためにある」と俳優の石田純一さんは言う。

インプットは大切なことだけれど、それは開店前に店の掃除をするのと同じくらいに当たり前のことだと思っている。「こんなセミナーに行ってきました」「こんな学びを得ました」ということは書かずとも、普段のアウトプットや人付き合いを見ていればわかる。認められたいという自己承認欲求の強いうちは「イン」が中心になってしまって、結果、一目を置かれたかったはずの思惑は外れて距離を置かれてしまうようになってしまう本末転倒。

【たくさんの物事を知っていること】は大切ですが、人間としての付き合いを
考えた場合は、【知らない顔をして、相手に気持ちよく話をさせてあげること】が大切なのではないかな、というのが持論です。

引用元:知らない顔のできる人と。 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

意識が高いとは、意識の高さを表に出すのではなく、己自身の行動や言動が相手の嫌味にならないよう配慮のできる人のことなのではないかなぁと思ったりする。

引用元:意識が高いとは ~知っていることも知らない顔で聞く | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

正論も、間を読まなければ通らない。知っていることでも、知らない顔をして相手に聞けるかどうか。相手を立てると、上から水は流れてくる。それは泥水でもなんでもなくて、物事を円滑に動かしていくための湿り。

引用元:知識と知恵の違い ~正論も間(ま)を読まなければ通らない。 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

過去の記事を読み返すと、2006年に僕は知っていることを知らない顔で聞くことの重要性に言及している。

他を蔑まないこともそうだが、人付き合いのマナーには他を不快にさせないことがある。ネットというのは気軽に発信できる便利な空間には違いないが、相手の顔や息遣いが遠い分だけ、つい、持論が加速して相手を不快にさせてしまうことがある。平気でカタカナを使ってしまったり、自分の理解できない世界のことを否定してしまったりするのは、相手の気配や心情を配慮する想像力が欠落していることの証。謙虚さを知るために、間(ま)を知るためにリアルな付き合いも大切にすること。それを時間の無駄と決めつけてしまってはならない。

知るとは、自分の知らないことを知ること。そうして得た教養は、昨日まで知らなかった自分と重なって、人を許すことに繋がるようになる。許せるから、広がる、深まる。関わりあって生きていくことの意味を、僕はそう定めたい。