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山陽電車の廃線跡 〜踏切の音が鳴り続けているような気がした

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この線路を地上を列車が走ることは二度とない。

在ったものがいつか無いことが当たり前となり、この線路がどんな風に役に立ったのかということは、記憶と記録によって語り継がれる。線路と人生は似ているなぁと思う。

写真の西新町駅付近は、子どもの頃通った水泳教室のあるところ。高校時代は三年間、ここに自転車を停めて学校に通った。放課後は青春を象徴するような時間の過ごし方をした。もう、自転車を並べた場所は思い出に残るだけとなってしまった。

昨日に戻るような感覚で、そんな昔のことを思い出せる。つまり、時間はあっという間に過ぎていくということ。生きていくこれからのことを線路の向こう側に考えてしばらく。

鳴らないはずの踏切が鳴り続けているような気がした。