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教えられたように教えているときに気がつくこと

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教えられたように教えているとき、あの人もこんな風な想いで僕に接してくれていたのだな、至らぬ僕をこんなにも我慢してくれていたのだな、繰り返してしまう僕をこんなにも許してくれていたのだな、と気がつくようになる。

改めて感謝を伝えようとすれば「そんなことあったか?」なんて笑っているのだから、同じ場所に来たとき、先人はもうとっくに先へ進んでいるということだ。届かない背はいつまでも向こう側で小さく、こちら側で大きくて眩しい。

表現力、発想力、体力、行動力。いつか来る自分の限界を考えることが増えてきた。同時に、うんと先にいる人たちのことを思って「まだこれから」と奮い立たせようとする自分もいる。

変化を求めれば筋肉痛にも似た痛みが伴う。足踏みのあいだに、どうかますます、その背が小さくなってしまうことのないよう。