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猫の手ならぬ、タコの足でも借りたいタコバター

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自分と似ているから親近感を覚えるときと、イライラしてしまうときがある。後者の場合、自分の悪いところを鏡で見せつけられているような気がするのだろう。「いや、自分はあそこまで暑苦しくない」「もしかしてこんなに声も態度もでかいのだろうか」。そんな風に程度を比較してどちらがマシかを考えようとしている時点で目くそ鼻くそなのだ。「似ている」から学ぶことは多い。

タコバターの響きには親近感を覚える。陸に上げられて、バターに和えられて鉄板で焼かれるタコは生まれ変わりのどんな夢を見ているのか。

「タコ」だとか「ばた」だとか。そんな呼び方でブログや僕のことを呼んでくださる方が増えた。継続していくと浸透するものがある。浸透していないと思うときは、何が繰り返されていないのか、そうやってシンプルに考えるべきなのだろう。うまくいかないことの大抵は、継続が足りないことが原因である。

タコとバターの話題で想像を飛躍させる。やることが色々あって落ち着かない。猫の手ならぬ、タコの足でも借りたいとオチのついたところで。