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ボロボロになったパンツをはいて、僕たちは冒険を忘れていく

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誕生日、41歳になった、とうとうこの人と同じ年齢である。これでいいんだろうか、これでいいのだ。

子どもの頃に想像した40歳は、もっと大人で、自分のことを「僕」と呼ぶような僕からはとっくに卒業しているものだと思っていた。爪を噛む癖も、ボロボロになるまでパンツを履く習慣も、何ひとつ変わっちゃいない。ここまで変わらなかったものは、きっとこれからも変わらないのだろうと思う。

引用元:自分のことを僕と呼ぶような僕からはとっくに卒業しているものだと思っていた | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

40歳になった去年は、こんなことを書いている。この日から今日まで、僕はパンツを捨てた記憶がないので、当時ボロボロだったパンツは、今はもっとボロボロになっている。でも、それがとてもしっくりくる。年齢を重ねていくと、新しいことに身を投じるよりも、居心地の良い現状に満足してしまうのだ。未来という言葉よりも、老後という言葉の方に反応しやすくなる。僕たちは冒険を忘れていく。

とはいえ、夢がないわけではない。こんな風に生きていきたいという理想は明確にあって、ひとつひとつのチェックポイントに丁寧に立ち寄りながら、いまは途上だ、と、自分に言い聞かせたりもしている。この一年の抱負というよりも、5年や10年単位での自分プロジェクト。キーワードはやっぱり「表現」だ。

遠回りもしてきたし、近道を探すのも得意ではない。ただ、いろんな時間のことを考えると、これからの遠回りは、少し速足でいかなければいけないということは十分理解している。気が付けば、現役のプロ野球選手で僕より年上はほとんどいなくなってしまった。

ひとつひとつ。ひとつひとつ。ひとつひとつ。ひとつひとつ。

継続することだけが、僕のこれからだ。これまでの延長を、これからも重ねていく。焦らない、でも、急ぐ。41歳も昨日と同じ。いろんな人を巻き込んで、ありがとうを伝えながら、やっていく。それだけのこと。

たくさんの人の存在で生かされている。誕生日はそれを感じる日。おめでとうと同じ数だけ、ありがとうを伝える日。