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自信と謙虚の紙一重

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知識も理屈も何もない時代に、夜は必ず明けると言い切った誰かの勇気は如何ほどのものであっただろう。「かならず」を声にした瞬間、いつもなら朝の白さが広がり始める方向に、どれだけの不安と祈りを向けたのだろう。

続く失敗に謙虚になれたか

経験を積んで、次に踏み出す先もきっとうまくいくのだろうと思える人たちの、万が一を案じて謙虚になる、そんな姿勢に気付かされることは多い。

伸びてしまったバネに、これまでの歯車が噛み合わなくなる。そんな時はいつも、僕の慢心が何処かにある。

鏡に映る自分の頬に答えが書いてあるわけではない。横にいた人の背、横にいてくれようとする人の声、配慮に満ちた表現に触れて、ようやく、ようやくの至り。そうか、もう、遠くの記憶になってしまったあの一言も実はそうだったんだなと、飛び起きるようにして気付くこともある。

過去に手を伸ばして、過去に頭を下げて、過去に卑屈になってしまうこともなんだか。とはいえ、若かったから、未熟だったからとそれを許されようとしてしまうのも違う気がする。

危なっかしい立ち方をたくさんの人に受け入れられてきた、そんなこれまで。感謝や責任、そして当たり前と恥という言葉たちがぐるぐると回って、息を吸うたび、ザラザラとした肺の内側を確かめているような気持ちになる。

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