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日記 2025/2/9 ▼他者のサービスに依存しすぎると、ある日突然、過去の自分に出会えなくなってしまう。自分のプラットフォーム、ブログを持つことの意義 ~ライター仲間たちの無念の声を聞いて

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ポイ活日記を更新、それとYahoo!内の記事を更新した。
そういえばすっかり普通の日記を更新していなかったな。

読み返すと、川柳鑑賞日記とおかんの病状記録だけが続いている。本当はもっといろいろ書きたいこともあるのだけれど、調べものをして、仮説を立ててChatGPTに壁打ちをして……ということを繰り返していると、それだけでアウトプットしたような気になってしまう。

外に向けて伝え、決められた場所で残していくというルーティーンが好きなはずなのにね。むむ。

ブログは好きなことを書けるから好き。SNSのように外の風にさらされた場所にないので、誰かの目を意識する必要がない。

もっとも、広告を貼り付けているので、公序良俗に反するようなことを書いてはならない。それは広告の有無に限った話でもないけども。

「書く」仕事にもいろいろある。媒体も様々だ。媒体によっては細かい規約が設けられていることもある。また、ウェブ上の媒体の多くも、このブログ同様に広告収入を事業の柱にしている。だから媒体のルールにのっとり、広告主のご機嫌をうかがいながら原稿を書いている。

そこまでやっても、ある日突然、媒体が閉鎖を通達してくることがある。それが原因で僕は、ある媒体で仲間たちの半分を失うことになってしまった。かなしい。議席の多くを失った政党の気持ちが今なら分かるような気がする。嗚呼。

プラットフォームを他者に依存すると、こんな風になってしまう。サービスもそうだね。たとえばこんな風に書いている日々のことも、外部サービスを利用していると突然閉鎖されてしまい、二度とはむかしの自分に会えなくなってしまうことがある。

事実、自分が最初の頃に使っていたブログサービスはもう存在しない。

ウェブ上にはバックアップを置き、ローカルに原稿を保存するという運用スタイルが落ち着く。他者に依存しすぎない。手元に寄せておくという感覚が自分には合う

過去の自分を明確な記憶に置いておく必要はない。霧のなかに、気配がわかる程度に置いておく。すると、過去が今に、鏡を反射させた光のようなひらめきを与えてくれることがある。ただしそれは記憶ではなく、外部記憶になったもの。つまり「書き記されたもの」限定だ。そういう感覚があるからこそ、書くことの価値を唱え続けられるのかもしれない。

だいじょうぶ。
抽象的すぎて何を書いているかわからないんだろう? 「わからないだろうな」ということは「わかってる」。安心して。それもこれも、ここは自分の日記。自分のブログ。

春に向けて媒体を失ってしまうライター仲間たちの心境を想いながら書いた。自分の場所という意識の確認。

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