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新開地駅の立ち食いそば屋さん「高速そば」に学ぶ、教科書にないデザインと商売のこと

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うちの会社の最寄り駅は阪神と阪急と神鉄、そして山陽電車が相乗りをしている新開地駅。この駅構内にある「高速そば」という立ち食いそばのお店で、スタミナうどんにコロッケを載せて食べるのは僕のお気に入りだ。

お店のおばちゃんはジャガイモの水耕栽培にはまっていて、店内のあちこちで根と芽を伸ばしたその様子を眺めることができる。メニューの背景にまでその写真を使うものだから、ご覧の通り、書かれている文字を識別することは容易ではない。デザインの教科書に従えば、こういう作り方は誤りであると言われてしまうのだろう。

ただ、と思う。

学問的なデザインの定義からは外れてしまったこのメニューをみて「だからこのお店はダメだ」と思うお客さんはどれくらいいるのだろう。デザインの理屈は伴っていなくても、このメニューには「ひと」が表れている。このメニューを許してしまう他のスタッフやお客さんの「ひとがら」も伝わってくる。「栽培にはまってるんだね」や「このメニューはおばちゃんが自分で作ったの?」という会話さえ聞こえてこないだろうか。

何かを表現するときの理屈や理論、僕はそれは後付けだと思ってる。いろんな人が心で感じてきたことの統計学、それが教科書になっただけのこと。教科書が最初にあって何かを伝えられるようになるわけではないし、ひとの心を響かせることができるわけではない。テキストや学校で学んだ結果の既視感という「カタチ」。それだけで世の中に通用するのであれば、僕たち表現者は言葉やデザインの持つ繊細な行間に心を配る必要はなくなっていくことだろう。

温度を伝えることのできる自分でありたい、うちの会社の役割でありたい。僕がずっと心に決めている在り方はそれで、その実現のために、僕は温度を伝えたがる受け入れたがるひとの気持ちを知り続けていきたいと思う。ひとの集う場所で、それを感じ取っていきたいと思う。仕事ができるできないというのは、学問的に優れているということではなくて、その人に集う顔ぶれを見ていればわかること。ひととの関わりを利害だけで判断するのではなく、心に実を結ぶかどうかという広い視野を持つことで継続していきたいと思っている。

理屈を伝えるのは学問、僕たちが伝えるのは温度。そんなことを思いながら食べるうどんの味がどれ程のものであるかは、言わなくてもきっと。

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