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父の命日 ~得るのではなく与えることを教えてくれた父の姿に

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昨日も雨で、明日からもずっと雨の予報。なのに今日は晴れてる、父の命日。

父は季節のイベントを大切にする人で、斎場に向かうあの日も桜のトンネルをくぐっていったのだった。花の好きな人だった。今日に合わせて太陽を連れてくる、こんな風にして、父はちゃんと自分の存在を伝えようとしてきてくれる。

店の中を見てまわるお客さんが笑っているかどうか、商品を買ってくださるお客さん自身が「ありがとう」と言ってお金を渡してくれる商品構成と金額設定になっているかどうか、店に来てくださるお客さんのことを一番に考えるのが父という商売人だった。何百人という経営者と会ってきたこれまでだけれど、僕は父以上の商売人を未だ知らない。

「親が残してやれるのは教育だけ」という両親の考え方で、僕はたくさんの習い事をさせてもらった。音楽を与えてもらった。音楽があったから「伝える、表現する」という仕事ができるようになった。いま、僕から発する表現のひとつひとつや商売の在り方のすべてには、やっぱり父が生きている。僕の何かが誰かに認められると、父に花を供えるような気持ちになることができる。僕のゼロをイチにしてくれたのは、両親の与えてくれたすべてがあってこそ。この父に、この母に生まれたことが僕の何よりの誇り。

経営は楽なことじゃない。ずっと人の問題がついてまわる、ずっとお金のことが気にかかる。ひとを軽んずればひとに裏切られ、お金を大切にしなければお金に傷つけられる。つまり、すべては自分が引き起こしている問題であるということだ。わかっていて、苦しくて、もう逃げたくなって、やめたくなって、ぎりぎりのときにいつも思い出すのが、病気で身体がボロボロになっても花を愛で動物を慈しみ旬の食べ物を僕たちに与えてくれようとした父の姿だ。どれだけしんどいときでも、父は得ることよりも与えることを大切にしていた。だから、回りまわって返ってくる。商売人の本質を父はよく理解していた。

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NODOKEKARAMASHI

Nishibata Yasutakaさん(@bata)が投稿した写真 –

今日の桜は父のためにある。勝手にそんなことを決めて、僕はワガママを生きている。「まだまだ」に凹んで、くじけそうになって、泣きたくなると、すぐに父に頼ってしまう。誰もいないところで、父にちゃんと聞こえるように「父さん」と声に出すこともある。いつまでも強くなれずにいるけれど、いつまでも「父さん」と呼んでいたい。甘えることも、ときどきは許してほしいよね。

今日の桜は父のために。在りし日の笑顔が近くて遠い。