雑記 PR

多弁は雄弁を知らず、言葉は心を越えない

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

糸が張るのを待つ釣り人の横で、風に逆らわない鳥たちの動きを眺めて過ごした。やがてレンズに収まる場所にやってきて、そうとは知らず、そうとは知らないのに、風の主役になって凛とした表情を見せる。威風堂々。僕はきみを待ったけれど、きみは僕になぞ目をくれることはなかった。

instagram-media” data-instgrm-captioned data-instgrm-version=”6″ style=” background:#FFF; border:0; border-radius:3px; box-shadow:0 0 1px 0 rgba(0,0,0,0.5),0 1px 10px 0 rgba(0,0,0,0.15); margin: 1px; max-width:658px; padding:0; width:99.375%; width:-webkit-calc(100% – 2px); width:calc(100% – 2px);”>

ゆだねて、みすえて

Nishibata Yasutakaさん(@bata)が投稿した写真 –

ブレてはいけないという、一方で、柔軟に対応することこそ王道であるという人もいる。凛として生きるものと、頑固に変えないものとの違いは何であろうか。多弁は雄弁を知らず。言葉は心を越えない。背に雰囲気が伴えば良いのだろうが、言葉が流れを引き寄せるということもある。相反する二つの概念に、それぞれ理想とするような人物が浮かんでは僕を惑わせる。この迷いは、ブレか、柔軟か。

空気に薄紅が溶け始めた。色々なことを考えては、ただ、動くことだけを思う。春はいよいよ。