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震災の神戸の街にあった、勇気 ― 仰木彬監督。

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オリックスの仰木彬元監督が亡くなった。

プロ野球ファンとして、関西をこよなく愛する人間として、そして何よりもあの阪神大震災から
立ち直るための勇気を貰った人間の一人として、これほど悲しい別れはない。

僕が住むのは、神戸の西隣にある明石という町で、震災の被害は神戸市内と比較すればまだマシな
方だった。ただ、当時も今も、両親の経営する雑貨屋は神戸元町通商店街の真ん中にあり、これは
もう、何年も観光客が戻ってこなくて、店の経営は行き詰るのではないか、と、本気でそんなことを
考えもし、家族で話し合うこともあった。

だから、仰木さんが神戸復興のためにと、選手たちを引き連れて商店街に激励にやってきてくれた
ことや、「頑張ろう神戸」というスローガンのもとに見事優勝して、感動を与えてくれたことは、
僕にとって、一生忘れることの出来ない「勇気」になったのだった。

勇気の根源。

体調が悪いというのは報道で聞いていたけれど、つい3ヶ月程前まではベンチで指揮をとって
いたほどだ。そして、もしかすると、来年も現場で指揮をとるかもしれない、と、そんな報道すら
聞いていて、僕は、まさか生死に関わるような病気と闘いながら、プレーオフをかけた戦いに
挑んでいたとは、夢にも思わなかった。

奇しくも病名は「肺がん」。 

人はいつか無に還る。

仰木さんの魂は、今はもう、闘病から解放された安らかな世界にいると願いたい。
だが、仰木さんの残してくれた「勇気と感動」だけは、一生忘れることなく、胸に、神戸に
刻んでいきたいと思う。

本当にありがとう、仰木さん、どうぞ安らかに。