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誰かの残り時間をいただいて生きている ~福島に帰る犬たち

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「あぁ、ご病気なのですね。快癒をお祈りしておきます」
「受験ですか! どうかうまくいきますように」

言葉にしてしまった以上、それを意識しないでおくのも気が引ける。覚え書き程度の一覧を作っておいて、神社仏閣を巡る機会にそれぞれを祈ったり御礼を伝えたりする。叶うたび、リストからは一行が消えていき、生きる日々、関わりのある誰か何かの一行が付け加えられていく。気が付けば健康に関するものが多くを占めていて、一日を積み上げていくということは、自分以外のすべての人の残り時間をいただいていることなのだと思い知らされるようになった。

福島に帰る犬たち

福島第1原発事故の影響で避難生活を余儀なくされているのは人間ばかりではない。

被災犬、飼い主の元へ 富加町に避難の「ポチ」 - 岐阜新聞 Web
福島第1原発事故の影響 …

ドッグイヤーという時間を生きる犬たちにとって、飼い主に逢えない時間はどれほど長いことだろう。僕たちは利便性を求めすぎるがあまり、いろんな生き物たちの残り時間まで一気に奪う過ちを犯してしまった。万事塞翁が馬、物事は表裏一体。表のつぎは裏になるという法則を忘れて、どこまでも駆け上がれると信じて作ってしまった犬と飼い主の距離。

調べると、被災犬を預かって保護、そして里帰りをさせるというこの活動を行っているのはNPO法人日本動物介護センターであることがわかった。寄付をすることで活動への意識を持ち、動物たちを通じて被災地と心の連携を図りたい……と書けば大袈裟かもしれないが、自分の飼っていた犬たちに何もしてあげられなかった後悔は今もずっとあって、せめてその罪滅ぼしになればと協力をさせていただくことになった

過ぎた時間は取り返せなくても、これからの時間を創っていくことはできる。過ちのあとの反省は行動にして、そこからを満ちたものにしていきたい。

そんな願いを、冒頭で書いた一覧にずっと記し続けている。