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傷付きやすい人の心を想像することが出来ないのであれば、傷を付けやすい自分の言動であることを自覚する

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ひとりの命が失われて、手のひらの翻る音が聞こえた。

言論の自由はひとを裁判官の顔にして、逮捕の事実だけで有罪にしてしまうこともあれば、棚の上に僕たちを置いて正論の風を吹かせることもある。

度が過ぎてナイフになった言葉は、束になって心を殺していく。性質の悪いことにこのナイフは、投げた瞬間はそれだとは気付かず、また、どうせ届くことのない紙飛行機程度のものだと誤認されている。いつもそう、誰かが傷付いて、倒れて、刃だったのだと知る。けっして自分は投げていないのだという顔をして。

批判ばかりしている人が、批判で殺した人たちを批判しているのを見かけて呆れた。人それぞれの自由ではあるのだろうけれど、傷付きやすい人の心を想像することが出来ないのであれば、傷を付けやすい自分の言動であることを自覚しようと思った。理科の世界の難しい話はわからなくても、一筋の言葉の先にひとの命があるのだということは、僕にだってわかる。

醜いね、酷いね、残念だね、悲しいね。

僕は僕たちは誰かの善悪を判断できるほど偉くはなくて、過ちの数だけチャンスを与えられて生きてきた。せめてそんな風に自分の心と決着をつけなければ、憤りの体温のままに朝を迎えてしまいそうで書く。

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