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失敗は財産。だから、だれかに分け与えることもできる

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ひと口食べて美味しくないと思う。でも、最後まで食べきってはじめて、この料理の価値はわかるのかもしれない。最後のひときれに極上の喜びが待っているのだとすれば? だから、食べきってみる。「ひと口食べて全体を予測できないようではダメだ」というのも正論だろう。ただ、その予測するチカラも幾多の失敗を経て養われるもの。失敗を予測できるようになるためには失敗をしなければならないということだ。

大切なことは失敗の仕方。素振りを100回すると決める。決めたらそこまではやり抜く。50回あたりで無駄かもしれないと思うのではなく、100回の時点で変化を測定する。最初に決めたところまで行きつかず、わかったような気持ちになってその失敗を重ねたところで、それは財産にはならない。どんなことをいつまでに、どんな風にやり抜くか決める。そして何が失敗だったかを考える。痛みを最小限に食い止めれば再起を図ることもできるだろうが、痛みのない失敗は、また、次に、痛みのない失敗を連れてくるだけなのではないだろうか。骨の折れるまで、こころの折れるまで繰り返したようなことを挫折と呼び、その痛みの先に得た自分だけの未来は何よりも貴い。

一日が終わるころ、いつも、今日の失敗を振り返る。何年やっても、何度やっても、また、同じような失敗を繰り返していることにガッカリする。申し訳ないと思う。誇れるものは、成し得た何かよりも、失敗の数の多さだけ。落とし穴の多さと痛み。それでも「こんな風にすると痛いよ」と伝えられる何かがあるだけ、誰かの何かにかかわる価値はあるのかもしれない。失敗は財産。だから、だれかに分け与えることもできる。