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動物を愛せる僕にしてくれた両親の愛。

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「うちじゃ飼えないでしょー、捨ててきなさい!」

捨て犬や、捨て猫。
拾ってきては駄目だといわれる、そんな光景。

うちの親については、それだけは一度もなかった。

むしろ、自分たちで拾ってくる程の動物好き。

犬は母親を心から愛しているし、駅前の鳩たちは、食パンを
くれる父親の顔を見ただけでそばに寄ってくる。

反抗期がなかったわけじゃない。
嫌だと思うところだって、今でもたくさんある。

でも、自分を、動物の大好きな人間に育ててくれた、そんな両親の
息子であることは、やっぱり自分の誇り。

心配事のひとつ、母親の体調。

どうか、どうか、と、今日も祈りの目覚め。
雨雲の上には、太陽、青い空。

大丈夫、きっと杞憂。

そう思いながら、愛犬の散歩に出かけた。
じゅにあ、おまえだって、お母さん、大好きだもんな。

一緒に祈ろうな。

===

2005-07-28/日記の再掲です。


「小さな命だけれど、暖かな命だった。」

7月23日に、明石川沿いを散歩していると、お腹を空かせたような猫の
鳴き声が茂みの中から聞こえてきた。

近づいてみると、手の平に乗るような、小さな、小さな、命、子猫。

捨てられたのではなく、多分きっと、どこかの野良猫が生んだものなのだろう。

明日の空を思った。

焦がすような太陽を見上げる頃には、こんなに小さくて体力のない子猫は
死んでしまうに違いない。

そっと、手の平に居場所を作ってあげて話しかける。

「おまえだって、祝福されるために生まれてきたんだもんな」

おでこ同士をゴツンとぶつけ、猫と人間、意気投合。

居場所を見つけてやろうと、思いつく限り、飼ってくれそうな人間に電話を
繰り返した。

「放っていかれへんやろー。連れておいで」

Nちゃんは快く応じてくれた。
ミルク代も受け取ろうとはせずに、ただ、一生懸命居場所を作ってあげる、と
約束してくれる。

その頃にはすっかり馴染んだ子猫は、サンダル履きの僕の足の甲から、Nちゃんの
家へと貰われていった。

また、会いにくるからな。 元気に頑張るんだぞ。

それが最後だった。

今日、晩になって、旅立ってしまった子猫の運命をメールで聞いた。

身体のサイズは、生まれて数週間程度のものなのに、歯の生え方を見た獣医は
一ヶ月以上は経っている、と言ったそうだ。

つまり

生まれてから拾われるまでずっと。

ずっとずっと

お腹を空かしていたんだ。 だからそう、栄養失調になってしまっていた。

Nちゃんも、一生懸命してくれたらしいけれど。

だけど、だめだった。

長くは生きられなかった命。 小さかった身体。

でも、ほんとうに、暖かで、優しい命だった。

もっとたくさんの景色を見せてあげたかったし、いろんなものを食べさせて
あげたかった。

走り回って、一緒に遊びたかった。 blogにも、登場させてあげたかった。

でも、もう、叶わない。

切なさで胸が押し潰されそうで、涙が溢れた。

わずかな短い時間だったとはいえ、

君という命を愛した人間がいたんだよ、ということを伝えてあげたい。

手の平に生きた感触と温もり、ずっと覚えてる。

どうかどうか いい夢を見ておくれ。

何もしてやれなくて、本当にごめんな。