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悪意 ― 悪戯のような言葉を綴る。

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東野圭吾さん、悪意読了。


悪意
著者: 東野圭吾
出版社: 講談社
サイズ: 文庫
ページ数: 365p
発行年月: 2001年01月
本体価格 629円 (税込 660 円) 送料込

「記録」と「事実」と「悪意」と「作為」。

投げかけられた波紋が、お互いに到達しあった瞬間。
思わず「あっ」というような声が出る。

これは、本書に限らず、東野さんの作品全てに共通して言えることだ。

伏線は、「伏線なのだろう」という意識で、頭のどこかに残る。
そして、それをほとんど意識しなくなった頃に、物語の糸が繋がり始める
きっかけとして、それが色を表してくる。

「人」について、深く考えさせられる一冊。
また、昨今のいじめ問題についても、通じるものがあるのでなないだろうか。

さて。

blogは、「事実のような記録」であって、実は「事実でない演出」も
たくさんある。

逆に、着飾ったような言葉の中で、わかる人にはわかるメッセージというものも
存在する。時に、それは悪戯のようなものであり、また時に、それは心の絶叫と
いう表現を用いても決して大袈裟でないものもある。

ことばの一つ一つに、どんな温度があるのかということを。

あぁ、気付いてくれた、いや案外、気付いてくれないものだな・・・ なんて、
少し観察をしてしまうような意地悪な自分がいるのは、心に余裕があるからなのか、
はたまた、SOSを出しているからなのか。

悪意の如き、自分の策略が。

どっちにしたって、自分にプラスであれば、なんて、やっぱり贅沢なんでしょうか。