コロナで入院する直前、神経痛に苦しむ日々が続いた。21時頃になると訪れる痛み。近所迷惑になりそうな悲鳴を朝まで上げ続けたのだ。これまでの人生でいちばん体調の悪かったころ。
案の定というか、その流れでコロナになって入院することになった。
当時のツイートを読み返すと、毎日よく、これで生きていたもんだと感心する。
当時はヘルニアの症状もあったので、その痛みと、神経痛と、コロナという三重苦に苛まされた。
そういえば、喧嘩していて5年以上会話のなかった母と弟と和解したのも、自分がコロナで入院したからだった。〈起きていることには意味がある〉と思う。あの頃、生還を祈ってくれた母を、今は自分が見舞う立場に。”あした”はいろんな形でやってくるね。
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ところで、その神経痛の激痛は、コロナを発症した頃も続いた。呼吸のできない苦しみと、下半身にやってくる激痛と。でも不思議なもので、入院した日の夜から、ぴたっとその神経痛は起こらなくなった。まだなんの治療も受けていなかったのに。
今にして思えば、入院できて、仕事も制限されてしまって、堂々と「ごめんなさい」モードになれたのが良かったのかもしれない。心が解放された瞬間だったのかもね。だとすれば、やっぱり〈起きていることには意味がある〉んだと思うよ。
以来僕はずっと、毎日の景色の移り変わりに触れるたび、ここにどんなメッセージの風が吹いているのだろうと想像するようになった。
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母は12月2日に入院、4日に手術を受ける(受けられる)ことになった。

のだけれど、あいにく、全国でインフルエンザが猛威を振るっている。入院期間中のお見舞いが厳しく制限されることになってしまった。仕方がない。
入院中、ビデオ通話をしやすいようにイヤホンマイクを買ってやろうと思う。
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偶然なんだけども。
もう10年以上SNSでお付き合いのある方と、はじめて食事をする機会があった。お話を聞いていると、その方は母の入院する病院の事務方の方だった。心強い。「何かあれば言ってください」なんて言ってくださったのが本当に嬉しかったな。
病院には雨漏りをしている箇所があると笑って教えてくれた。建物はかなり老朽化していて、いま、隣の敷地へ新築移転する工事が行われている。母は退院後、やがてそちらの病院へ通うことになるんだろうか。

自分のことを日記という雑記スタイルで書くのはどうしてなのか。
書くとスッキリする。言語化することで、嗜好と思考のパターンが整理されていく。自分の言葉に縛られるようになるので、目標が実現しやすくなるetc.
色々あるけれども、たぶん自分は、誰かの夜をすこしだけ軽くすることを、表現活動を通じて行いたいのかな、と。
くだらない言葉ひとつも、それで誰かが笑ってくれるかもしれない。
病気で苦しんだ道程も、誰かの道しるべになるかもしれない。
川柳や短歌や写真で、誰かの心を救えるかもしれない。
お金に関することで、誰かに安心を与えられるかもしれない。
承認欲求じゃんと言われたら、そうでしょう。
でも誰だって、認められたいし褒められたい生き物なんだよ。
それでいいのかな、と思ってる。
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11月25日。
今日は自分が眼科へ通う日。
あまり眠れず、早起きしてこれを書いた。
コクヨ キャンパス ノートのように使えるバインダー
2X2リング A6 ライトブルー ルーズリーフ
昨日お店で見かけて買ったもの。
ここに書いたものが、また、誰かの夜をすこしだけ軽くする材料になるといいな。