雑記

病院に「つながれて」旅立つのではなく。

「管(くだ)を外しますか、それとも繋いだままにしておきますか」

医師は辛い選択を迫る。
おじいちゃんは、もうすぐ旅立とうとしている。

夏に倒れて以来、意識が戻ることなく病院に「繋がれた」ままであった祖父の心臓が
10日朝、停止したという報せが入る。

蘇生処置により、命は取り留めたものの、人工透析、栄養、酸素と、ありとあらゆる
管が(前にも増して)繋がれ、もはや何の反応を見せるでもなく、ただ家族はモニターに
映る数値とグラフにより、唯一、「生きて」いることが確認できる状態となった。

繋がれた管を外しても、外さなくても。

結果は変わらないだろう。 意識がないまま、数日単位で寿命が延びたところで、それが
誰にとっての幸せであると言えようか。

むしろ僕らは今、おじいちゃんが、少しでも安らかに旅立てる方法を考えてあげる時期に
やってきている。静かに、苦しまず、人間らしく、愛するおばあちゃんが待つところへと
送ってあげること。

それが、家族が出来る最良の選択だ。

僕は、旅立ちの報せを待って、静岡へと向かうことを決めた。

今日か、明日か、明後日か。
尊敬するおじいちゃんの安らかな旅路を、今はただ祈っている。