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「想」から始まっている、それでいい

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「祈るだけ」ではなく「何かできることを考えて、カタチで示せ」という意見がある。どんな意見を持つことも人それぞれ。ただ僕は、無形であるその構えも、けっして意味がないとは考えない。祈りの数は声になって、誰かの行動に示唆を与える。背中を押されて動き出す人があれば、追い風のように触れていく祈りたちにはエネルギーが存在するということを意味する。それでいいんだと思ってる。

想えばいい、祈ればいい。できるひとが、できるタイミングで、できる範囲のことをして、つないで、巡らせていけばいい。繋がるようになっている。正論が、行動の源泉である「想」を遮断してしまう世の中はあまりに寂しい。それぞれのエネルギーを許容する。その巡り方が、僕たちの未来を優しくする。

続く地震。不安な夜のことを想う。だから僕は、何ができるだろうと考える。「想」から始まっている。それでいい。