雑記

頸椎椎間板ヘルニアと過ごした一年

2018年の9月25日にヘルニアになった。だからめでたく一周年(めでたくない)。

その25日は経営者(同友会)の大集会だった。この日は朝から肩が異様に重たくて、首や肩をぐるぐる回して過ごしていたのを覚えている。夜になって、乾杯をしようとしたときに異変は起こったのだった。なんとグラスを持ち上げることができない。

痛みというよりも、腕が自分のものではなくなったような不思議な感覚だった。酔っているのかな、とも思ったが、考えてみれば乾杯のときに腕が上がらなかったのだ。そんなわけがない。。

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病院へ行く。
最初は腱の断裂が疑われて、レントゲンやMRI検査を受けた。

何度目かの撮影で、ようやく頸椎のヘルニアであることが判明した。激痛で眠ることのできない日々。病院に行っても、診察室に呼ばれるまで待合で叫んでしまうくらいだった。

心配した周囲の方が、診察の順番を譲ろうとしてくれた。バスや電車に乗れば、首に巻いたカラーを見て席を譲ってくれた。世界で一番ワガママで、世界で一番優しさを与えられた時期だった。失ってはじめて見えてくるものがある。こころに触れることが多くて、自分の価値観に大きな影響を与えてくれた頃。

リハビリの日々が始まる。当初は週に3回、次第に2回。
断続的な痛みはなくなったものの、低気圧がやってきたり気圧の低いところ(ビルの上階や高台など)に行ったりするだけで激痛に襲われるようになった。いわゆる気圧病という奴だ。肩に突きつけられた拳銃から弾丸を放たれるような感覚。

手術は受けないという選択をした。自分の判断。
この病院の、この先生と理学療法士と取り組んでいく。僕はそう決めた。ところが、自分の(それなりに理由があって)決めたことが周囲に届かない。「いい病院があるよ」「有名な先生がいる」「こんな薬があるよ」「安くサプリを提供するさ」

体調と自分の判断を説明することに、すっかり疲れるようになってしまった。そして僕は、何よりも誰よりもこの医療スタッフたちを信用している。それを否定されたような気持ちになってしまうのがしんどかった。

ただ分かっている。それは悪意ではなく、厚意だ。だから余計にもどかしい。慢性的な疼痛に悩む人や、重たい病気などになった人がうつ病を発症しやすいというのは、分かるような気がした。次第に、周囲の言葉にも過敏に反応するようになってしまった。「まだ治らないの?」「大げさなんじゃない?」「仮病でしょ?」「首に巻いてるそれ、ファッション?」

そんなこんなの一年。
痛みはあるし、腕も不自由。いろんな人にご迷惑をおかけしているのも申し訳なく心苦しい。

「それでも、手術をしない選択をしたなりに、一年よく頑張ってきたね」

主治医のかけてくれた言葉に安堵する。思わず言ってしまった。

「痛みのある日は、崖から飛び降りようかと思うくらいに辛いのよ、せんせ」

泣き言。情けないね。

長丁場になると思う。下手すると、自分の腕は一生不自由なのかもしれない。

しばらくこれからは、心が負けないよう、ナイフのような言葉たちから距離を置いた場所を選んで、養生していきたいと考えている。

元に戻りたいね、やすみたい。