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45歳で人工透析を始めた父のこと、46歳を迎えた僕のこれからのこと。

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それまでもずっと病気で苦しんでいた亡父だったが、45歳になって人工透析を始めてからは、体調の良さそうな日を見ることが滅多になくなってしまった。

生きることに悲観して、その道を永遠に閉ざしてしまおうとしたことがある。西へ南へ、父の選びそうな場所を、真夜中にずっと探し回った。徳島のどこか小さな駅舎で再会したときは、「あほなこと考えるなやーーー」と思わず怒鳴ってしまった。

あの日、だから僕はもう、「一生のお願い」というやつを使ってしまったのだろうと思う。

父が61歳でこの世を去るまで、病気と治療の痛苦は取り除いてあげることはできなかった。優しかった父の苦悩する表情に、僕たちは「頑張れ」と言うことしかできなかった。残酷。自分が病気になって体調を崩して、ようやくあの頃の父の気持ちに触れられるようになった気もする。

そして今日。
父が人工透析を始めた45歳の一年が過ぎて、46歳の誕生日を迎えることができた。

同じ体質を受け継いだ自分にとって、「45歳」と「61歳」という数字を意識の外に置くことは難しい。同じ病気を発症せず、同じ治療を受けず、45歳を無事に終えることができれば、運命をすこしだけ遠くに押しやることができるのではないか。

そんなことを昔から考えていたから、今日をこの状態で迎えられたことは感慨深い。母には「生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」というメッセージを送った。そういえば、コロナで呼吸ができなくなったときは、母にだけは「死んだらごめん」と送ったのだった。

寿命はいつまであるのか分からない。
健康でいられる日は、きっともっと短い。

でもだからこそ、日々後悔しない生き方をしようと思う。自分にとってそれは「表現する」とか「伝える」というキーワードに集約されるようなことだ。

いま、ここにあることに、
心から感謝をして。
いま、ここにある命を輝かせるために、
挑戦を絶やさずに。

ここからの、「のこり」を生きていきます。