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慈愛と哀れみの紙一重。

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慈愛と哀れみを混同して、対等ではなく、同情で人に接してしまうのは相手に失礼なのではないか。周囲や世間には誤解や先入観が多くてぎりぎりの配慮をしているつもりだけれど、自分が哀れみで人に施してもらっているとわかったら、やっぱり悲しい。優しそうに見える残酷と、残酷に見える対等であれば、僕は後者を選びたい。わかってくれなければ仕方がない。

書く仕事をしていると、使ってはいけない言葉というものが出てくる。たとえば「チビクロサンボ」という言葉は人種差別に繋がるということでNG。本当の差別とは、この言葉を使うことではなく、この言葉が差別語であると決めることなのに。ひとと何かが違うことを「格差」だと思うか「個性」だと思うのか。(このひとは、そういう風に考える人なのかぁ)と思って寂しいこともあれば、(しまった、こういう考え方をしている人間だと思われたのではないか)と焦ってしまうことも。

ひとはひと、自分は自分。「人それぞれ」という言葉を、呪文のように繰り返すことにしている。けれども、僕だってまだまだ。