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星野監督の訃報 ~周囲に優しく、本人に厳しい、見習いたかったリーダーシップ

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人生で一番野球を見たのは、星野さんが阪神の監督だったときで、明石出身の藤本選手が恐怖の8番打者として活躍していたころでした。

選手たちには厳しく、選手の家族や裏方には裏でそっと花束を贈るような優しい人だったと聞いています。周囲の人に優しくできるからこそ、本人には厳しくできたのかもしれません。僕もそのリーダーシップを見習いたくて、いつもメンバーの家族の幸せを先に考えて、その逆算でメンバーに今やるべきことを伝えているつもりでしたが、簡単なことではありません。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺がありますが、うまくいかないときは、逆にその家族が原因なのではないかと思ってしまうことさえありました。原因を僕という人間の内側に探すのではなく、外に見つけようとする。一番いけないことだと分かっているのですが、僕の行動は星野監督には到底、及びません。

今できることは何なのか夜遅くまで話し合った
「大変な震災が起きたことは、ニュースなどで分かったのですが、ともかく実感が持てないんですよ。家族とも連絡が取れないし、不安ばかりが募りました」
2011年3月11日、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天イーグルス)の選手たちは、兵庫県明石市でオープン戦の日程をこなしていました。そんなときに、未曾有の大震災が、東北を中心とする東日本を襲いました。その瞬間に、仙台を本拠地とする楽天イーグルスは被災球団となり、仙台に家族を残してきた選手たちも、被災者の一人となったのでした。
以降、楽天イーグルスの選手とスタッフたちは、仙台に帰れないまま各地を転戦、調整を続けていきます。そんな中でも選手とスタッフたちは、遠征先で募金活動を始めるなど、被災地支援のために立ち上がります。
「そのころは、今できることは何なのか、毎晩、選手同士で夜遅くまで話し合っていました」

引用元:Active Human list 8 : 防災情報のページ – 内閣府

東北で震災があったのは、ちょうど、東北楽天ゴールデンイーグルスが明石でオープン戦を行っているときでした。阪神淡路大震災のあったとき、僕たちがオリックスブルーウェーブの「がんばろう神戸」に励まされたように、東北の人たちもきっと、星野監督率いる東北楽天ゴールデンイーグルスの活躍に励まされたに違いありません。

男らしく女らしく、という言葉も、慎重に使わなければいけない時代になってきました。それでも僕は、星野監督を、強く、優しく、弱さを見せない、男らしい人であったと呼びたいと思います。「男にする」という言葉と「男にしてもらう」という言葉に強く憧れるのは、星野監督の存在、生き方があったからです。リーダーという生き方を選んだ以上、僕だって、星野監督のようになりたいのです。そのためには意識、行動することです。言葉にする以上に背中で語ることのできる人間にならなければなりません。

影響力の大きな人が旅立って、残るのは喪失感。ひとつの時代が終わり、また、次の時代へ繋がっていきます。さて、いま、僕は、なにを。