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「音」の出るものの配置で考える「後厄」の僕の一年

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2017年、僕はいわゆる「本厄」の一年でした。

それでも、前半はとても素敵な時間を過ごすことができたのです。たくさんのチャンスをもらいました。違和感のあった人たちと距離を置くこともできました。心をどんな風におけばチャンスの風は吹いてくるのかということを実感する、そんな半年間だったのです。

しかし6月30日の夜から、流れは一気に悪くなりました。人間関係もうまくいかず、体調も崩しました。貧血、インフルエンザ、めばちこ、神経痛、骨折、耳鳴り、難聴、眼精疲労、不眠症、自律神経失調症。なかでもろっ骨の骨折はずっと続き、(正確に数えたわけではありませんが)3回も折ってしまいました。ちなみに折れた状態は今なお続き、2018年1月13日現在、胸にはまだ、痛みが残ります(治ったら折るの繰り返しで、春までには4回目をやるような気がします)。

そこで、「気」のことを考えてみました。

「音の出るもの」の配置で気が活性化されるというのは面白いなぁと思います。うちは玄関が西向きにありますので、南西の方角に音の出るものを置けば良いのでしょうか。ドラムでも買ってきましょうか、それとも銅鑼でも置いてみましょうか。

激しく打ち鳴らすビート、残響。もはや肋骨の砕け散ってしまうくらいになれば、痛みを感じることもないでしょう。昇天です、いや、笑点でしょうか。あぁすいません、膝が冷えますので、せめて座布団の一枚は残しておいてもらわないと。

……。

後厄の一年です。
見えないものに「気」を向けられるこそ、見えるものにも配慮ができるというもの。

慢心せず、謙虚な気持ちで、穏やかな一年を過ごしていきたいと思います。
健康であればこそ、生きていればこそ、の、ここからです。

さて、見えないものも、見えるものも、僕の一部。大切に大切にやっていきましょう。