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はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。

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社会の仕組み、構造上の意味合いでの少数派意見(マイノリティ)になってしまうことがあります。

大多数と比較して、数の少なさは色々と不利になってしまいます。叶うならば、大多数の方にいて、もたれて、まぎれて、本流に乗せていってもらう方が楽なのかもしれません。実際、そんな選択の仕方をすることだってあります。卑怯かもしれません。楽をしたいときだってあるのです。

ただ、どうしても、譲れないこともあります。どれだけお世話になった人が「あちら」で、どれだけの多数が「あちら」であったとしても、僕は「こちら」でありたいと思うことがあるのです。誰が何と言おうと「こちら」。頑固です。そして何より「孤独」です。少数の味方をすることは疲れます。だから、離れていく人だっています。結果この場所は寒く冷たくなっていくのです。それが少数たちの居場所です。

99に対しての1。勝ちたいわけではありません、ただ、譲れないだけです。

それでも、僕は断固として「1」であることを主張します。言葉に温度をのせて伝えつづけます。変えたいと思って言うのではありません。こういう意見や考え方もあるのだぞ、と思って、旗を振るのです。するとどうでしょう。1を繰り返し繰り返し、なぞるようにして伝え続けると、ある日ある時、1は2になるのです。正確には、最初から2になるはずだったもうひとつの1が、実は自分もそうだったんだ、とそばに寄ってきてくれるようになります。言葉にしてよかったな、と報われる瞬間です。たったの1。けれど、複数になったエネルギーは強いのです。だから僕は、伝え続けることの重要性を説きます。

世の中を変えることには、大きなチカラがいります。でも、どんな始まりも、最初は「個」で、まずはそれを「複数」にすることからです。個を複数にするには、言葉です。新約聖書にも、そういえばこんな一節がありますね。

「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」

伝えることを止めてはならない。言葉にすることを臆してはならない。
大多数が正しいと決めるのではなく、自分が自分らしくあるためには、言葉を何度も何度も重ねてほしいと願います。