10月11日に実家から連絡があり、母が病気であることが分かった。SNSやブログに病名は(あえて)書いていないが、お察しの通り、命に関わる大きな病気である。
それから一か月、いろいろな検査で何度か病院に通い、今日はその確定診断を受けることになっていた。手術ができるのか、内科的治療になるのか、何もしないのか。ステージはどうなんだろう。毎日、祈り続けて今日を迎えた。
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病院へ行って受付を済ませると、何時にどの科へ行けという案内カードが発券される。午前中が内科、午後に外科と表示されているのを見て「これは手術ができるということかもしれないね」と母が話す。あぁ、そういうことか。
「でもほら、受付番号が1420やで」
「だから何よ」
「42て、縁起悪いやん」
「1414(いよいよ)42(死ぬ)とも読めるわよ」
母はいつもこんな感じ。
明るい人だ。
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内科に呼ばれる。
先生が画面に様々な数値と臓器の写真を表示しながら説明してくれる。時折冗談も入れて和ませてくれるのが嬉しい。
「今の段階で、転移はないです。根治を目指していきましょう」
主文が後回しになったので極刑も過ぎったが、《根治を目指す》という言葉を聞いて、母も弟も自分も、涙をあふれさせてしまった。ステージは1。この段階で見つけられたのは幸運だったと思う。
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お昼ご飯を食べて、午後に備える。
外科の待合室で母はiPhoneでゲームをしている。どうやら病院周辺には珍しいポケモンはいないらしく、LINE バブル2で遊び始めた。
「この隙間にボールがいかないのよ」
母はいつもこんな感じ。
明るい人だ。

予定の時間をだいぶ過ぎて、診察室に呼ばれた。
説明が分かりやすく、質問にもちゃんと答えてくれた。相談しやすい雰囲気は、相手の質問をさえぎらず最後まで聞いて答えるから生まれるんだな。
先生の手術に関する話は、それなりに緊張を伴うものだった。実際に手術を始めてみて、播種が見つかれば手術は中止になるということ。胃の3分の2は切ることになるということ。手術後に内科的な治療を続けていく可能性もあるということ。
起こり得る「万が一」の話をちゃんとしてくれると、僕たちはある程度受け身を取ることもできる。物事は大抵、最悪と最良のあいだに着地する。胃を大きく切除することに動揺がなかったといえば嘘になるが、母は手術を受けられることに安堵している。本人が納得できるのなら、今はそれが最良だということだろう。
手術までにはあと、3回ほど病院に通う必要がある。
その検査をして手術の日程が決まることになる。
「正月は手術を終えて退院して、家で迎えられますかね?」
「だいじょうぶだと思いますよ」
諸々の緊張は年内いっぱい続くのかな。
でもそれは、とても前向きな緊張であって、僕たちが今朝まで抱いていた後ろ向きな緊張とは意味が異なる。
会計を済ませて病院を出ると、西の空が夕暮れだった。

「日頃の行いが良かったのよ」
知らんけど。
でも、良かったな、と駐車場へ向かいながら話をした。そういえば、子どものころ、明石公園でよくザリガニ釣りをした。こんな夕暮れの時間を過ぎても、「まだもうちょっとやる」と言ったのは母の方だったな。

近くのホームセンターに寄って、母は花を選んだ。花と動物を愛する人。店の中では、犬たちに勝手に名前をつけて呼んでいる。最近テニスにハマっているので、推しの選手名らしい「ムチョパムチョパ」と呼ばれる犬たちは、どんな気持ちになるというのか。
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晩から仕事に復帰。打ち合わせを終えて、夜は制作仕事……をするつもりだったけど、寝落ちしてしまった。そして朝、これを書いている。久しぶりに深く眠れた気がする。
毎日ずっと祈りと緊張の時間だった。もちろんそれはこれからも続くのだけれど、何をどう祈れば良いのか分からなかったことが、今度は明確に「手術ができますように、うまくいきますように」というフレーズに定まったので、いくぶん緊張も和らいだのかもしれない。
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「それにしても先生、ずいぶん私のことをおばあちゃん扱いしてなかった?」
いやもう
そういう年齢なんだってば。
母はいつもこんな感じ。
明るい人だ。
みんなで頑張ろうな。