自宅に電話。
またセールスの電話だろうと思いながら取ると、川柳界(ふあうすと川柳社)のHさんだった。あばば、大変失礼を(汗)
用件は2つ。
2026年の12月号でもまた「巻頭言」をお願いしたいということ。
あともう一つは「ふあうすと賞」の年間審査員を務めてほしいということ。
わー、大役。
まぁでも、川柳界に恩返しをするという意味では頃合いなのかもしれない。これもまた勉強、チャンスなのである。謹んでお請けすることにした。
→川柳ふあうすと(毎月連載中)
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午後は明石市議会内にある会議室へ。
明石市障害者の差別の解消を支援する地域づくり協議会(インクルーシブ推進)委員に再び委嘱されたので、その会議に出席。任期は3年。

いつも思う。
知らないことばかりだ。
世の中にはこんなにも不自由があるのだということ。
世の中にはこんなにも表面的な理解が多いのだということ。
世の中にはこんなにも温かい人たちがいるのだということ。
自分には何ができるのだろうと思うと、やっぱり「伝える」立場で貢献することなんじゃないだろうか。そしていったい「何を」伝えたらいいのか。ぐるぐると悩んでしまう。僕のチカラはとても小さい。だけどきっと無力でもない。
まず、市への提言として、
会議の内容を報告書の体裁でホームページに置くのではなく、SNSで拡散しやすいようなかたちにしてほしいとお願いした。
そして視覚障碍者の方に個人的にお話をうかがって、点字プレートの動線が悪くなっている箇所を教えていただいた。近いうちに実際に見に行ってこようと思う。
あともうひとつ。
今日の会議でKIF1A(キフワンエー)関連神経疾患という世界でわずか600名程度しか報告されていない遺伝性疾患のお子さんを持つ方と知り合うことができた。
→KIF1A(キフワンエー)関連神経疾患(KAND)家族会ホームページ
低緊張、視神経萎縮、発達遅延、重度知的障害という障がいについて伝える彼女の声は堂々としていた。「インクルーシブという難しい言葉がなくても、当たり前にお互いを理解しあえる世の中になればいい」と話していたのは特に心に響いた。
過去の投稿をすべて拝読した。そのとき、その一瞬のご家族の喜怒哀楽を想像して読む。胸が苦しくなったよ。だから心ばかりの寄付をした。もっとたくさん寄付ができるよう、僕は僕の人生を頑張りたいと思う。

会議を終えて、駐車場でごそごそしていると、あっという間に夕暮れだった。この太陽に、どんな感謝を添え、どんな祈りを込める人たちがいるのだろう。ぼけっと想像して生きている僕は、今、この風のなかに在る当たり前を幸せなことだと嚙みしめている。
明日水曜は、また母の病院へ付き添う。
半日近い検査になるのだそう。待っている間はパソコンで仕事をする。だから家族に寄り添う時間のわがままを、どうか許してほしい。