雑記

詩歌の世界の「わかる」「わからない」の話 ~五行歌への挑戦

川柳や短歌はもちろん、詩歌の世界では「わかる」「わからない」の話になることが多い。

どういう情景や心情を伝えようとしているのかわからない、いや、わかる。わかるが、わかりすぎてただの説明になってしまっている。ではやっぱりわからないくらいの方が余情があって良いのか、そもそも詩歌とは何なのか。わかってはいけないのか、わからなければいけないのか云々。

その他、川柳の世界では「575」の定型が良い、特に初心者は定型を守るべきだという考え方がある。しかし、どうして初心者は定型で初心者でなくなれば定型以外も許されるのかというところの説明はとても難しい。そもそも、初心者と初心者以外の人との違いとは何なのか。

曖昧な部分が詩歌の魅力であって、ちゃんと線を引いてしまっては単なる作文になってしまう。そのあたりまでは詩歌の世界に未だ興味のない人に説明できたとしても、「そのあたり」の説明が曖昧だから興味のない人を興味のある人に変えていくことはできない。素地のある人だけが感応して、すこしだけ、ドアを開いてくれる。そしてその確率はとても低い。

川柳鑑賞短歌鑑賞というカテゴリのなかで紹介している川柳や短歌は、定型で、ぱっと見たときに想像を促すようなものを意識して選んでいるつもりだ。自分自身も定型以外の句や歌は詠まないし、仕事としての関わりもある以上、この世界の人口を増やしたいという気持ちは強く、その橋渡しとなるような役割を担っていきたいと考えている。橋の先にいる魅力ある作者たちにあとは任せて、自分は自分のスタンスを貫く。詩歌の世界で僕は、いまは、それを想う。

短歌と川柳とマカロニと

詩歌の世界といえば聞こえは難しい。自己表現、内面の伝達。様々な試行錯誤でこの世界の匂いを伝えることをしてみたく、五行歌への挑戦を始めてみることにした。平易な言葉で写真に世界を持たせる。まずはこんなことから一緒にやってみたいと思ってくれる仲間が増えれば嬉しい。