雑記

ピアノがあるということ、空気を入れ替えるということ

感情や人付き合いには総量があるのではないかということを以前書いた。

「総量」というのは感覚的なもので、僕はこれをよく、ベンチに例えて表現する。座ることのできる人の数は一定で、誰かが席を立てば、必ずまた誰かがやって来てくれる。ただし、やってくる誰かは透明で、意識していなければ着席には気付かない。透明な人が座っている場所に有色の誰かに座ってもらおうとしても、当然余裕はなく、ベンチはバランスを崩して崩壊してしまう。バランスを取りながら時を重ねれば、ベンチの長さは少しずつのびていく。つまり総量という人間の器は亀の歩みで大きくなっていく。そんなイメージ。

引用元:感情の総量、人間の器、万事塞翁が馬、そんな色々を考えてみた | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

いま、負に満ちていると思えば正になるような意識の持ち方は大切だ。しんどいと思うことにとことん向き合うのも一つだけれど、冷却のような時間を置いて、しばらくは軽くなる場所に身を置いてみる。すると見えなかったものが見えるようになってきたりする。感覚的な話で、理屈でもなんでもない。

撮影をすること、ペットショップに足を運ぶこと、水槽をながめてぼーっと過ごすこと、鳥たちの鳴き声に耳を澄ますこと、詩歌で何かを表現しようとすること、ピアノを弾くこと。自分にはそんなスイッチの切り替え方があって救われる。来週はまた、久々にスタジオにはいってバンドの練習もある。自分のなかの陰とした空気を入れ替えてこようと思う。