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「1000いいね」「一日に5記事」「フォロワーを500人」をやりなさい協会

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「サラリーマン時代にこんな実績を出した、経験をした」といっても、それは会社の看板があってのこと。その「過去」を振りかざして「アドバイスします」「コンサルティングします」と言ったところで、説得力には欠けるのではないかといつも思ってる。

他人の看板ではなく、自分自身の看板で苦労することを知っている人は、簡単には「アドバイザーです」「プランニングをします」という言葉は使わない。それを言葉にした途端、距離を置かれてしまう人たちの存在が浮かぶからだ。経験という価値は貴いが、信用はいとも簡単に失われるものでもある。

ところが、「自分に幸福をもたらさない人間関係に縛られて、新しい人生に挑戦できない。そんなこれまでから脱却しませんか」という使い古されたようなコピーに心を動かされて、つい、そのあたりの世界に足を踏み入れてしまう人がいる。

そういう世界は、大抵は、胴元だけが儲かるようになっていて、足を踏み入れた人は「単なる信者」として会費要員としての使命を背負わされる。これまでに費やした時間とお金がもったいなくて、疑問を抱きつつも、そこから抜け出すことができなくなる(=サンクコスト)。

スマホとSNSが普及して、ひとりひとりの「発信」と「つながり」がよく見えるようになってきた。だから、そういう甘い世界に引きずりこもうとする人と、引きずり込まれてしまう弱い人とのパワーバランスも分かりやすくなってきたのかなぁと思う。これまではアンダーグラウンドだったものが、いまは公然と行われるようになった、そんな不思議な感覚。

騙すのも生きることなんだろうし、疑問を感じながらも「1000いいね」や「一日に5記事」「フォロワーを500人」といったものを追いかけてみるのもまた、生きることなんだろう。生き方はそれぞれでいい。僕はその善悪については判断はしない。ただ、好むか好まないかという主観はある。

僕は自分の経験だけを信じる。自分のやってきたことだけを信念とする。だから、色々なことを継続しようと思うし、継続のなかから感じ取ったことだけをアウトプットして、自分という人間を評価してもらうときの基準とする。あるいは、それを伝えることを生業とする。語尾は「自分はこうでした」だ。「こうらしいですよ」という伝聞は用いない。

そういう世界ではない、世界で、しゃんと、自分自身を投影することで評価されていきたいと思う、そういう人のために。僕は自分のできることを伝えていきたいなぁと思う。抽象的な書き方で十分だ。あれはやって、これはやりません。そんな明確な線を引いて、与えるものと与えないものを区別して誰かの人生や仕事をサポートできるほど、僕は器用ではない。