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吹奏楽部vs卓球部。正論っぽい雰囲気で場をまとめていく難しさ。

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頼まれてもいないのに自ら意見を伝えたのならばともかく、「意見を聞かせてください」と言われたのだから、思うところを伝えた。すると彼は、上手にラリーを続ける卓球選手のように、僕の意見のすべてに反論を述べてきた。(だったら最初から聞いてこなければいいのに、意見を聞いたというプロセスのアリバイ作りに使われちゃったなぁ)と、悲しい気持ちになる。一方、空気を読んで、そんなアリバイ作りに協力することもまた、全体としての調和をとるためには大切なことで、今はその役割を担うタイミングなのかなぁと考えたりもする。

会議や議論の場で、そういう役割を自然にこなせる人は頭が良いなぁと思う。僕はそれを「透明な階段」と呼んでいて、目標や落としどころ(結論)に向かっていくためには、カタチには残らないけれど、必要なステップだと考えている。問題はそれを誰が担うかで、僕以外の誰かがそれをこなしていると「すごーい」と思うし、僕自身がそれを(気が付けばいつのまにか)担わされていると「こんちくしょー」と思う。

正論を正論としてぶつけるのではなく、正論っぽい雰囲気で場をまとめていく。これは本当に難しいことで、すぐに感情的になってしまう自分はまだまだだ。そうして僕は、吹奏楽部だったにもかかわらず、今日も卓球の試合に駆り出されるわけである。ピンポン。