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保健所で殺処分される犬たちを助けてあげられなかった、僕の後悔と、僕のルーツと

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もうすぐ子どもの日ですね。

20年前の5月に我が家の家族になり、20年後の今日、子供の日に、
子供に戻ったような顔で、帰っていきました。

引用元:何度生まれ変わっても、一緒にいたい。 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

5月5日は愛犬あさろうた(あーちゃん)の命日。5月にうちの子になったあーちゃんは、5月に天国に旅立っていきました。新緑の季節になると、野良犬だったあーちゃんが保健所に連れていかれてしまい、それを涙をこぼしながら引き取りに行った、中学生だった自分のことを思い出します。

20年以上も一緒に過ごしてくれて、最後は、子どもにかえったように優しい顔をしていました。なんといっても元野良犬で、僕たちは幼いあーちゃんの姿を知りませんでしたから。きっと順序が逆になっただけのこと。あーちゃんは、いろんなことを教えてくれたのです。

犬たちの収容されていた保健所の跡地を、いまでも、一か月に一度は訪れている。あの日後ろ手に閉めたドアの感触を忘れる日は、永遠にやってこない。悔しさ、無念、無力。なのに今も、やさしさの命たちはあちこちで失われ続けている。

引用元:動物たちに触れると眠たくなる、一緒にいると気付かなかった犬たちといる生活の効果 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

野良犬だったあーちゃんは、ある日突然やってきて、夜だけうちで寝泊まりをするようになり、そして保健所に連れていかれてしまいました。野良犬の世界でも人気者だったあーちゃんは、野良犬の友だちをたくさん引き連れてうちの町内にやってきました。保健所では、その友だちも、みんな檻の向こうで待っていました。僕の顔を認めると(迎えにきてくれたー)と嬉しそうな顔をして喜んでくれました。

それでも、僕が許されたのは、ただ一匹、あーちゃんだけを連れて帰ることだったのです。

友だちは、それまで嬉しそうな声をあげていたのに、僕が背中を向け、あーちゃんだけを連れて帰ろうとすると、悲鳴のような声を上げ始めました。(なんで?)(一緒に帰ってくれないの??)

振り返ることができず、後ろ手に、僕はそのドアを閉めました。みんなが辿る、このあとの残酷な運命を知っていて、当時の僕にはなにもできなかったのです。その残響は30年近くたった今も、僕の脳裏から消えることはありません。助けてあげられなかったことへの罪悪感は、きっと一生続くのでしょう。保健所の跡地を訪れて手向けること、動物たちの命を救う活動に寄付と協力をしていくこと。この程度で何が変わるわけでもありません。でも、せめてもの、です。

ひとつ違う角を曲がれば、出逢うこともなかった命。

引用元:何度生まれ変わっても、一緒にいたい。 | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

ひとには、それぞれ、色々なルーツがあることでしょう。僕にとっては、犬たちと出逢い、犬たちと過ごし、犬たちに教えてもらったことがそれで、いまの自分を形成してくれています。だからやっぱり、罪滅ぼしと恩返しは、なんらかの形で続けていかなければならないのです。

じゅりー、あさろうた、ぷーすけ、ぺぺ、じゅにあ。

名前を声に出して呼ぶと、今でも遊んでくれそうで、今はもう会えなくて、切なくて苦しくなりますが。
5月はいつも、そんな、僕の原点を思い出す季節になるのです。

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