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批判には世界を変えるチカラがあるけれど、ひとの名前を呼び捨てにするのは勿体ない

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twitterやFacebookが一般的なものになって、いろんな意見に触れることが出来るようになった。テレビや雑誌、メディアというフィルターを通じてしか世界の考え方を知ることができなかった時代を思えば、今は良くも悪くも「人それぞれ」の考え方に出合える。「いろんな意見のひとつ」である僕の持論は誰かに否定されたくはないし、「いろんな意見のひとつ」である誰かの考え方は尊重したいと思う。感情が乱れるときは自分のモノサシと比較して、周囲の善し悪しを考えようとしている傾向が強い。だからお題目のように唱えるのが人それぞれという言葉なのである。

僕は僕たちは誰かの善悪を判断できるほど偉くはなくて、過ちの数だけチャンスを与えられて生きてきた。

引用元:傷付きやすい人の心を想像することが出来ないのであれば、傷を付けやすい自分の言動であることを自覚する | 川柳をこよなく愛する明石のタコ

批判は言論の自由だし、批判されることで自浄作用の働く職域の方もいる。できるだけ政治や芸能の話を表現の世界ではしないように努めているつもりだが、もし、僕が正義の顔をして誰かの何かを指摘することがあるならば、人の名前を呼び捨てにはしないという最低限のマナーは守りたいと思う。名前を呼び捨てにした意見や考え方は、論というよりも感情の塊のような印象があって、残念な気のすることが多い。批判には世界を変えるチカラがあると思う。だからこそ、それを論に昇華させるための冷静な論じ方というものを大切にしていきたい。

うちの会社では、自分しか見ることのないメモ書きであってもお客さんの名前に敬称をつけることを徹底させている。また、クライアントという呼び方ではなくお客さんという呼び方を徹底することも、自分たちが優位劣位にあると勘違いさせないためである。商売はいつも水平な立場で行わなければならない。

名前に敬称をつける。呼び捨てにはしない。教室で教わったはずの簡単なことができない大人やリーダーのことを、子どもたちや従う人間たちはどんな風に捉えるのか。意見を世に放ちやすくなったということは、即ち、人に見られやすくなったと同義である。世界の考え方に違和感を覚えたとき、まず、己はどうであるかということを自問自答できるようでありたい。