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会社を経営して20回目の大晦日。なんてことのない一日。行き過ぎた夏が空を白くしている一日。息をしている一日、息をしている現在地

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2025年6月30日の朝。梅雨の明けた東の空はもう真っ白だ。暑すぎて空が白くなる。「空を青い」と形容するには、夏は夏らしくあるべきで、行き過ぎてはいけないのだ。季節はいつから暴走するようになってしまったんだろう。

20回目の大晦日である。うちの会社は7月1日が期の始まり。だから6月30日は大晦日。なんとかここまでを走りぬきたい、生きていたい、息をしていたい。いつもそう思って7月のスタートを切り、一円でも多く利益を残して納税できるよう、社員たちに給料を払えるよう、23時59分の最後の一秒までを走る。

今年もどうやら同じ肩書きで息をしている。「守った」というより「守ってもらった」と表現する方が正確なんだろう。こんなポンコツを、お客さんや社員、仲間や家族たちがずっと見守ってくれて、機会を与え続けてくれた。だからいま、生きている。息をしている。「息をしている」なんて、大晦日に変な表現だと我ながらそう思う。でも、実感だ。暑さに息切れしているというのもあるかもしれないけれど。

むかし、少林寺拳法に憧れて習いに行ったことがある。でも体験初日でやめた。先生が黒帯で、自分はそうではなかったこと。「納得いかない」と言って家に帰る小学生。

自動車学校もそうだったな。教習中に運転を止めて「高いお金を払って教えにもらいに来てもらっているのに、なんだそのへたっぴな教え方は」。生意気だった。二十歳の頃。

続かない。我慢ができない。そんな自分、が、会社は20年続けることができた。感慨深い。まだ今日という一日があり、最終的に黒字にするか赤字になるかは、ここから何日か続く決算書づくり(地獄)を終えて初めて分かることだけれど、なんだか今、白い炎を見ながらそんな実感があって、こんな文章をつづりたくなった。

人生にいろんな忘れ物をしてきてしまった。会社を守るため、お客さんに御迷惑をおかけしないため、社員たちを不幸にしないため。毎日、ずっとプレッシャーを感じながら、責任と義理を果たしたくて走ってきた。結果、悔いもたくさん残しているこれまでの人生でもある。

本当はもっと「ありがたい」とか「みなさまのおかげで」なんてことを書くべき一日なんだろうけど、今日は実感を残したくて。20回目の大晦日は、もっと美しい自分を見せるべきなのかもしれない。暑いのが悪い。

できたことよりも、できなかったことを想うっていうのはでもやっぱり、自分の器が小さかったってことなんだろうな。態度はこんなにでかいのに。

20年。

あ、商売人の父はその間に逝ってしまった。
愛犬たちももういない。
頸椎のヘルニアにもなったなぁ。
コロナでも死にかけた。
そのあと(今日も)ずっと病院に通ってる。

裏切りもあった。
誕生日に社員とその家族がサプライズをしてくれた。
あれはうれしかったなー。

土下座は毎年どこかでしている。
お客さんの前で泣きながら詫びたこともある。

いよいよ倒産するかもしれないとき、
降りてくる銀行のシャッターの隙間に滑り込んだこともある。
盗塁王かよ。

お金のこと、社員のこと、体調のこと。
ずっとしんどかったな。

わ、過去形で書いてるぞこいつ。
やめちゃうのか。
大丈夫かおい。

大丈夫ですってば。今から病院に行くんですってば。
下手したら、一年間に50万くらい医療費がかかるんですってば。まだまだ働かないと。がんばらないと。

365日分の1日。ただの1日。365日かけることの20年。えーっと。7300日か。7300分の1日。別に特別でもなんでもない一日。ただ東の空が白くて、なんとなく書きたくなっただけの一日。「うるう年を計算しないでいいの?」とか言ってくる人のことはスルーする一日。

昨日が今日に、今日が明日になっていくだけ。そんな通り過ぎていく一日に、僕は今日も「暑い暑い」と言いながら、息をしている。息をしていく。それの繰り返し。それをずっと繰り返して、僕の人生は線になっていく。

現在地。僕は息をしている。
それだけの一日。

ただ、白い空に悪態をつくだけの一日だよ。

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