雑記

幸せの形はシャンパンタワー ~お通夜に参列して思ったこと

岡山、お通夜に参列。

岡山駅前

逝ってしまう人がいるということは、残される人がいるということ。残された人は、寂しさと同じくらいに「あの人は幸せだったのだろうか」という疑問に支配され苦しみを覚えることがある。生きている間にたくさん笑顔を残すこと、自然と笑顔になれるよう悔いのない選択を行うこと。最低限の節度を守りながら生きたいように生きる、その意味を改めて教えてもらうことができた。

満たされれば溢れる、幸せの形はシャンパンタワー

自分を削って他を幸せにしようとしても、削られた分だけ、誰かがその荷を背負わなければならない。僕は幸せの形はシャンパンタワーだと思っている。自分がてっぺんにあって、自分が満たされるように一生懸命に生きる、幸せを享受する。そうして溢れ出たものが周囲の人へと伝播していく。

削って与えようとするから「自分はここまでしてやったのに」という憎しみが生じるのではないか。まずは自分のグラスを満たすこと。贅の限りを尽くそうというのではなく、生の限りを尽くす。その結果として、ひとにプラスの何かを与えられた人生を幸せと呼ぶのだと信じたい。