雑記 PR

サービス業としての医療看護、言葉のちから。

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医療や看護も、そこに「報酬(対価)」が存在する以上、やはり広義ではサービス業です。

>社会人としてどんな人であれ自分の倍程の年齢の人にタメ口は×です。また、広義の意味
>で医療もサービス業です。お客さんにタメ口は×です。それと最も、懸念するのは、この
>看護師さんの深層心理には、「患者さんに何かをしてあげている」と言う心理がないか

抗がん剤ヘルプデスクの2/21エントリー「病院でちょっと感じる事」より)

この考え方に共感します。

確かに、タメ口であることの、メリットもあるでしょう。
医師・看護士に対する距離感、温度差といったものは取り払われ、人によっては、気軽に
自分の症状を訴えて、より快適なサービスを受けることが出来ることもあるのだろうと思います。

心穏やかに、気持ち安らいで、病院へ行こうという、その間口を広げる効果もありましょうか。

でも、やっぱり、違和感があるんです。

これはもう、「医療がどう」とか「看護の在り方」といったところとは違う、もっと手前のところで
感じるところ。それは、社会人としてどうなのか、という、ほんとに基本的なところに依るものです。

何より、「タメ口でなければ、患者さんとの親近感は得られないのか?」という疑問もあります。

タメ口になってしまうと、無意識のうちに、「してあげてる」「自分が上だ」という気持ちが伴って
しまいます。そうなってくると、コミュニケーションがとれているようで、実はほんとに「表面的」な
会話になってしまい、押し切られてしまうというのでしょうか。結果的に、尊重されるべき患者の意思
が、無視される形になってしまうのではないかという懸念につながるのです。

うちの会社にも、制作の打ち合わせで大学生のお客様がいらっしゃいます。

「会社」や「打ち合わせ」なんてものは、大学生にとって非日常でしょうから、うち解けて貰う
ためにも、自分の馬鹿話も交えながら、和んで貰おうと努めます。

ですが、実際に打ち合わせに入ると、そこはけじめをつけて、こちらも尊敬語・丁寧語で話をします。

人生の先輩としては、心気安く。
仕事を任せられた立場としては、けじめをつけて、敬意を表して、感謝を示して。

そんな、コミュニケーションの仕方を工夫をするだけでも、随分相手から得られる信頼も変わるのでは
ないか・・・ と、考えるようにしています。

病院は、居心地の良い場所であるべきです。
でも、やっぱり、それは「家庭」以上のものであってはいけないと思うし、自立を促し、早く病気を
快復させようという強い意志を抱かせるにふさわしい場所であって然るべきです。

コミュニケーション能力、会話の力、ことばの力。

些細なことなのかもしれません。でも、そんなところが少し見直されてもいいかな、とも思ったり
するのでありました。