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選ぶのも自己責任、選ぶのもセンス。カタカナにお金と時間を費やすな。

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経営者の仕事は「決める」ことだから、何かを決めて受け入れたのならば、それはもう経営者自身の責任である。騙そうという意図で近づいてきた人がいても、受け入れたのは自分の判断。騙す人間は許されるものではないが、騙された方にも責任がある。どんなカードを選ぶかというのもセンスだなぁと思う。

誰を相談相手に選ぶのか、ということもまたセンス。

僕は馬鹿だから、カタカナの多い人の話はこれっぽっちも理解できなくて、分かりやすく物事を教えてくれる人と話をしている方が楽しい。「教える」「相談にのる」ことを生業としている人の話を理解するために、こっそり本を読んだり検索したりするっていうのは本末転倒のような気がする。分からないことを教えてもらうのに、ますます分からなくなってしまうためのお金と時間を投資する。カタカナは危険な誘惑なんだろう。

もう一度同じことを書く。「誰に相談するのかということもセンスであり自己責任」。僕には、カタカナに一生懸命相談して、お金と時間だけを奪われて自殺に追い込まれた経営者の友人がいる。亡くなったときはそのプランナーやコンサルタントを恨んだが、選んだのはやっぱり彼自身で、自死という結果になったのもすべては彼の選択によって始まったことなのだ。以来、僕は、たとえばのチカラを使うことを強く意識するようになった。相手から「わかりやすい」と言われると、涙が出るほどに嬉しくなる。相手から「わからない」と言われると、悔しくて涙が出る。

書いている文章の意図が相手に伝わらないときに使いたい、「たとえば」の力。 | コトバノ

カタカナだとか、相手の肩書きだとか。

甘美な匂いのする方向へふらっと立ち寄った結果、貴重な時間とお金を無駄にしてしまうことがある。相談相手に誰を選ぶかというとき、カタカナの多い「それっぽさ」と、カタカナを排除した「わかりやすさ」のどちらを味方につけるか、友人の命日が近づいてくると、強く訴えたくなってしまう。