雑記

会話の主導権、相手の心に先回りして触れるということ

「春は花」「春の花」「春も花」。春は、春の、と書いたとき、読み手に浮かぶ季節は春のみですが、「春も」と書いたときは、春以外の季節も並列してしまいますね。桜や梅を思い浮かべる「春は花」という表現に比べて、「春も花」では、「夏や秋、冬にはどんな花があったかなぁ」となります。「も」は主役を薄くしてしまう可能性があるということを意識しておくと、文章には強弱が生まれてきます。

引用元:会話で使う「僕も、私も」の「も」(助詞)は、使い方を間違うと主役を奪ってしまうので要注意! | コトバノ

会話をしていて、上手に主導権を渡してくれる人は素敵だなぁと思う。その心配りに気付いて、僕もボールを投げ返そうとするのだけれど、簡単には受け取ってくれないことがほとんどだ。

たとえば財布を落として落ち込んでいるとしよう。

「財布を落としちゃってね」
「そうなんだ、実は自分も先日財布を落としてしまって」

こんな風に返されると、もう、会話の主役は「先日財布を落とした側」になってしまって、話を切り出した側の心は置き去りにされてしまう。

自分のことは聞かれるまで黙っておく。「何が入っていたの?」「そのあと、出てきた?」といくつかの質問を、相手の心が落ち着くまで繰り返してあげる。僕はこれが気持ちの良い会話だと考えているのだけれど、気が付けば、相手からいつもそれをされてばかり。頭が良くて、人の心に上手に寄り添えるひとは、とことんまで、優しいのだと気付かされて恥ずかしい気持ちになる。僕はいつも、自分のことばかりを考えてしまう、心に余裕のない(冷たい)人間だ。

相手の心に先回りして触れていくことは、とても難しい。