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これまでのことを、これまで以上に来年も。

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父は365日店を開いていたので、「仕事を納める」という概念がうちにはなかった。正月はそごうや大丸で買い物をした人たちが、商店街を歩いて神戸駅のほうへと向かう。呼び込んで店をにぎやかにする父の姿は、いまでも自分がずっと追いかけている「背中」であって、僕はだから自分のことを、経営者ではなく「商売人」と頑固に自称しつづける。憧れは永遠なのだ。

2020年はコロナの一年だった。1月から3月あたりまでずっと咳の続いていた時期があって、「あれがそうだったんじゃないか」と周囲の人に言われることがある。当時はまだ詳しい検査を受けることができない時期だったので、実際のところは分からない。

ヘルニアと、神経痛、冷え、骨折に苦しんだ一年でもあった。痛みのない一日は、数えるほどしかなかった。手術なしで肩が上がる状態になったことを主治医は驚いてくれた。リハビリを頑張ったんだよ。

自分の身体のことは、自分が一番理解していたいと願った。なにをして、どれをしなければ、どこが痛み、どこがしんどくならないのか。そんな因果関係を記録して、すこしでも良いコンディションで仕事に臨むようにする。体力を前借りすることもあれば、無理をせずに先延ばしにすることも覚えた。人生に緩急は大切なのだということを、病気になり、体力が落ちたころになってようやく気付くようになったのは大きいのではないだろうか。

理想とか、理念とか。

そういうものに人は惹かれるのだと思っているし、理念と行動が乖離していると、人は離れていくのではないかとも思っている。今年はいろんな「本音と建前」を覗いた。コロナによって闇が浮かび上がってきたような感覚がある。いくつか情熱が失われてしまったものに対しては、これから適切な距離を置いていくことも決めた。「会えない」から「会いたい」と色濃く思うものもあれば、「会えない」なら「会えないままでいいや」と思うものも増えたということ。時間の使い方を見つめなおすきっかけになった。それはコロナが僕に与えてくれたものだと思う。

「自己肯定感を大切に」とよく言われる。わかる。ただ、それが相手方から見たとき「傲慢」になってしまってもいけないと思っている。謙虚さを大切にしたい。コロナで何もかもがしんどかったとき、いろいろと救いの手を差し伸べてくださった方がいた。謙虚であればこそ、助けてくれる人もいる。この姿勢は永遠でありたい。

完全な健康から離れたところで、自分のしたいことは何か。できることは何か。そんな自問自答を繰り返してきた。2021年もまた、謙虚に挑戦し続ける。

不完全。心までえぐられた。そんなときに助けてくださった方々の言葉と行動は一生忘れない。

謙虚、そして感謝。ひとに関心を持ち、見返りを求めずに与え続ける。
これまでのことを、これまで以上に来年も。