終戦記念記念日。手向けようと明石公園へ向かうと、空襲の碑を磨いてくださっている方々を見かけた。川崎航空機明石工場があった関係で、市内は6度の空襲を受けた。公園に逃げ込んだ人たちの多くが犠牲になり、惨状を極めたらしい。

明石市立文化博物館内には平和資料室があり、空襲の被害状況や証言のビデオなどを閲覧することができる。
今は戦後なんだろうか、戦前なんだろうか。戦争の余熱が冷めて、安易な選択をしようとする言説が増えてきているのが気になる。
中学生のとき、修学旅行で訪れた長﨑で、原爆被害者の方のお話を聞いた。上半身裸になり、変形してしまった骨や生々しい火傷の痕などを見せてくださったことをよく覚えている。
安全を脅かされまいと願うとき、僕らはどんなカードを持つことができるのだろう? 対話で解決することがもっとも望ましい。だけど僕は事実、ファミコンの順番を競って弟と何度も殴り合いの喧嘩をした。そんな僕の言う「武力はダメだ」になんの説得力があるというのか。
火種と狂気はずっと僕の拳に棲んでいて、赤い紙の行き交う未来は、僕のような利己的な人間が手繰り寄せているのかもしれない。自分以外の誰かとその家族を想えば、「まず」排除すべき思想があるというのに。
理想の空を、いつも現実から見上げ続けている。