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桂歌丸師匠が与えてくれた、商売人として生きる僕への好影響

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経営者として14年目のスタートを切りましたが、やっぱり自分は、経営者と言われるよりも「商売人」という響きのほうがしっくりくるのです。

商店街で働く父の背を見て育ちました。通りかかるお客さんにお店の存在に気付いてもらい、商品を満足して購入していただくためにはどうすれば良いのか。父はいつも、購入前から購入後までの物語を想像して、お店作りと接客に勤しんでいました。

商売というのは、最終的には自分自身が商品だと思うのです。自分だけが提供することのできる商品なんて、世の中にはあり得ません。誰かが同じものを作り出すことができる以上、自分が商品の一部となって、選ばれるポイントとならなければならない。僕は父の商売を営む姿に、ずっとそんなことを教わってきたように思います。だから仕事の9割は段取りで、自分自身を開示していくことは大切なのです。

桂歌丸師匠がお亡くなりになりました。

僕は毎朝、自分の声を録音して、トークの練習をします。どんな風にすれば笑ってもらえるだろう、今日の自分の声は暗い印象を与えないだろうか、こんな時事ネタを入れて会話をすれば相手に喜んでもらえるのではないか。自分自身が商品です。知識や技術の研鑽は当然のものとして、それにプラス、自分という人間を選んでもらって良かったと思っていただくために、この練習は欠かしません。

そしてトークを磨くために、歌丸師匠の落語は教材として利用させてもらっていたのです。絶妙な間(ま)の取り方、とぼけたトーンで役になりきる演出は、僕がずっと憧れていた技術でした。

歌丸師匠は病床にいてもずっと稽古を続けられたそうですが、プロとは、現状に疑問を抱き、常に上を目指していく人たちのことを言うのだと思います。【技術・知識・個性】の3つで僕という商品が構成されているのならば、僕はこれから先もずっと、鍛錬を怠ることなく継続していくべきでしょう。身は滅んでも芸は残ります。僕という人間の商売のやり方が、父から受け継がれたように、これからもずっと継いでいかれるような、そんなこれからを考えていかなければなりません。

自分に好影響を与えてくださった方が次々と鬼籍に入られ、ひとつひとつの時代に区切りがついていく感覚に、どうしても焦燥を感じずにはいられませんが、影響という粒子が僕の中に在って響きつづける限り、僕はそれを外部に表明し続けることができます。内なる声をちゃんと捉まえて、かたちにすること。それが僕の表現者としての矜持であり、商売人としてのスタンスでもあります。生きていくこと、その生き方に、この粒子たちを反映させていくことを約束して、師匠へのお別れの言葉としたいと思います。ありがとうございました、歌丸師匠。